日本語の擬声語、擬態語の研究
――日本語の擬声語、擬態語の規律性の考察――
私達日本語かの学生として、四年間の日本語の学習の生涯で、一番困ったことと感じられるのは何であろう。私は敬語の運用と擬声語、擬態語への理解、この二つのことだと思う。ところで、敬語は日常生活で運用する機会が多くて、よく身に付ける機率も高いと思う。それに、先輩や目上などと会話する時、敬語を避けてはいけないであろう。しかし、敬語と比べて、擬声語、擬態語は理解する面であろうと、運用する面であろうと、直面しなければならない問題はずっと多いと思う。例を出させていただく。これは日本の語学専門家福沢周亮の名句:
石が、一つ、ころころ転がってきた。
石が、一つ、ごろごろ転がってきた。
「ころころ」と「ごろごろ」両者とも擬声語である。日本人はその発音から、ごろごろ転がってきた石は、ころころ転がってきた石より大きいと知られる。しかし、私達中国人にとって「ころころ」と「ごろごろ」いったいどっちの方がもっと大きいのか、分かり難いであろう。中国語に翻訳するなら、必ず大きさについての形容詞を付けなければいけない。日本語を勉強し始める学生達は擬声語、擬態語を避けられれば、きっと避けるであろう。そうすると、理解し難い→運用を避ける→理解できないという悪性な循環に陥りがちだと思う。とても困った問題に違いない。
そうでしたら、どうして擬声語と擬態語を理解しなければならないのか。理由が二つあると思う。
まず、擬声語、擬態語をうまく会話の中で使うことが出来ると、会話がとても自然になる。また、擬声語、擬態語がよく分かっていて、文章を読むと、微妙なニュアンスまで理解できる。
それから、擬声語、擬態語に触れ合いを通して、その擬声語、擬態語がまさに日本人の感性の所産であることに加えて、事態を掌握する姿勢や機能に見られる多様な変容などから、日本語の発想の本質を端的に示している言語現象であることが分かって、私はその規律性を本格的に研究する必要を強く感じられる。
日常生活で、私達日本語を学ぶ中国人は基本的な文字、語彙、文法を掌握してから、日本人と会話する時、日本人はいつも擬声語、擬態語を運用することも会うであろう。それも、日本人の一つの特徴である。しかし、その擬声語、擬態語を運用する理由は日本人に聞いても、答えをもらえない。この質問を答えるために、私と一緒に歴史の川に入ろう。
昔、日本人は今の韓国の西部に建国した百済の国から漢字を学び、初めて書籍に接した。文字というものを始めて見る日本人の驚きは大きかった。漢字を習うことは中国語を習うことであった。日本語が中国から受けた影響の大きいのは文字に次いでは語彙の面で、多くの人体の部分、整理、病気の名、鉱物の名、社会制度の名、抽象的思考対象の名などを輸入した。また、明治維新の際、欧米の文物名を輸入する時に、漢字を組み合わせて新しい漢語を作ったが。これも中国語の間接的影響である。中国語からは日本語は音韻の面でも、文法の面でもいろいろ影響を受けている、音韻の面で、音00の拍が生まれたのは、まったく中国の物を取り入れた物である。しかし、両国が近代化するにつれて、違う政治、文化の背景のしたで、違う地理、気候の影響を受けて、『日本語の中国語から受けた影響は、まことに表面的である。』(金田一春彦『日本語』)極東では、中国語、朝鮮語など、母音どめ、子音どめが相半ばしており、東南アジアも大体そんなもので、日本語のような母音どめの拍だけからなる言語が少ない。『日本語には南方系の要素が入っているのだろう。』(金田一春彦)
以上から見れば、孤立語のシステムに属する中国語の中で、日本語の擬声語、擬態語の発源する根元を捜す得る可能性はないと思う。日本語の擬声語、擬態語をよく理解するように、日本語そのもので、擬声語、擬態語の意味と運用の規律を捜すべきだと思う。
阿刀田稔子?星野和子の『擬声語、擬態語使い方辞典』の中で、擬声語、擬態語の収録総数では約1700語である。でも、実際に、日常生活の中で、同じことを形容する擬声語、擬態語は日本人の出生地、年齢、社会地位、仕事種類によって違う。さらに、ある擬声語、擬態語は即興に創作する産物である。それで、日本語の擬声語、擬態語の数量は数えないほど多い。それと比べて、中国語の擬声語、擬態語はとても少ない。『現代漢語辞典』、『新華辞典』は擬声語、擬態語ほとんど収録しない。それはまた、中国語の擬声語、擬態語の一部分は日本語の擬声語、擬態語に対応できるが、大部分は対応できない。翻訳不能の日本語として知られている。これは日中両国擬声語、擬態語の数量方面の区別である。その区別についての理由はもう一つがある。第一言えることは、日本人は観念的でなく直観的に表現しようとする気持ちの強いことで、代表的なものが、擬声語、擬態語と言われる物である。『擬声語というのは、外界の音、例えば雨の音を「ザーザーと降る」と形容する、あるいは雷0を「ゴロゴロと鳴る」と形容するものである。擬態語というのは、音をしない物を音がするように表した言葉である。例えば、星が「キラキラ光る」とか、あるいは、新しい金貨が「ピカピカ光る」とか言うような物である』(金田一春彦『日本語』)。次には日本語で新しい擬声語、擬態語をどんどん発明できるということが面白いことだと思う。日本語の擬態語というのは実に細かい配慮の基に作られていて。たとえば、同じ転がることの形容でも、いろいろな言い方がある。コロコロ――転がり続けること。コロリ――一回転がって止まる様子。コロッ――転がり続ける様子。コロリコロリ――転がっては止まり、転がっては止まる様子。コロンコロン――はずみを付けて転がって行く様子。コロリンコ――一回転がってはずみを持って止まり、後は動きそうもない様子を表す。複雑で堪らないであろう。形容詞に慣れる中国人にとって、とても困った問題に違いない。それで、私達は日本語の擬声語、擬態語の規律性があることと確信するだけでなく、其の規律を掌握しなければいけない。
日本語の中で、多くの擬声語、擬態語は日本語の固有な「和語」である。日本語は動物の鳴き声を形容する擬声語は本当に豊富である。次に、日本語の中で、触れる感覚についての擬態語も多い。例えば:ザラザラ、ツルツル、ネバネバ、べとべと等、それから、日本語では心理状態や人間の各種類の顔色を示す擬態語も豊富である。例えば、うろうろ、おろおろ、はらはら、ひやひや、まごまご、この五つの擬態語は皆どうしようの気持ちを表すが、意味は微妙な区別がある。
○駅で出口がわからなくてうろうろしていたら、親切な駅員が教えてくれた。/どうしたらよいかわからず、行ったり来たりする目的もなく歩き回る。
○出産の時、夫はおろおろするばかりだった/どうしたらよいかわからなくて、何もできないでいる様子。
○サーカスの網度りをはらはらしながら見た/危ないものを心配している様子。
○友達が店員とけんかを始めるのではないかとひやひやした/冷たいや汗をかくほど危ないと思うこと。
○授業中、急にあたられてまごまごしてしまった。/どうしてよいかわからず、速くできない。
そうすると、私達中国人は日本語の擬声語、擬態語を翻訳する時、深刻に原文を理解しなければならない。其の言語の雰囲気から其の言葉の本当の意味を理解して、相応できる中国語で表す。字面だけ見て当て推量の解釈をすることは駄目である。
形態から見れば、擬声語、擬態語は十八のテープがある(金田一春彦『擬声語、擬態語概説』)、私は日常生活で、いつも運用する□っと、□□っと、□□りと、□ん□り&□っ□り、▲△▲△の五つの類の擬声語、擬態語を分析して、例文を付けて、研究すると同時に、其の規律性を捜す得よう。
1、□っとの形
2、□□っとの形
3、□□りとの形
(1) 金田一春彦、『日本語』、第二十一版、岩波書店
(2) 阿刀田稔子?星野和子、『擬声語?擬態語使い方辞典』、第二版、株式会社創拓社
(3)金田一春彦、『擬声語?擬態語概説』
(4)増田アヤ子、『擬声語?擬態語』(上級)、第二版、専門教育出版株式会社
(5)山本弘子、『擬声語?擬態語』(初?中級)、第二版、専門教育出版株式会社
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